名古屋をどり

2年ぶりとなる西川流名古屋をどり。それがまさか右近先生の追善になるとは、誰が予想しただろう。

 

追善ができる素晴らしさ

実はこの公演にスタンド花をお贈りするつもりでいたのだが、札をどうするのか悩みに悩んでしまった。というのも、今回は追善公演である。「御祝」はちょっと違うのではないか、かといって「御供」ではもっと違う気がする。

 

結果的には、ロビーに並んだスタンド花の札には「御祝」と書かれていて、なんだ、それで良かったのかと拍子抜けしてしまった。

 

考えてみれば、後継者が育って、周囲の人手も揃って、結束も強くなければ追善公演はできない。だから札には「御祝」でいいのだ。またひとつ勉強させてもらった。

 

 

劇場に入ると、お家元の奥様がいらっしゃった。
「右近先生も御園座のどこかにいらっしゃいますね」とご挨拶申し上げたら
「俺が踊るって出てきちゃうんじゃないですか?」と笑っておられた。

 

 

昼の部 追善舞踊会

昼の部は追善舞踊会。
過去に連獅子、道成寺と大曲に挑んだ西川華香さんは、この舞踊会が師範披露となり「鷺娘」を踊られた。

 

踊り自体がとても大きく、たゆまぬ努力を重ねられた素晴らしい舞台。鷺娘の幕切れは、雪の中で息絶えるものと、二段で決まる演出があるが、今回は後者。この方がぐっと古風で華やかになる。20代前半の若い方が踊られるなら、こちらが似合う。

 

 

男性舞踊家では西川好之介さんというユニークな方がいる。

彼とは共通点が多い。同い年で、叔母が西川の師範、小さい頃から踊りを続けている。なんなら体型も似ている。異なるのは彼はそのまま踊りを続け、私は花の業界に進んだ。

 

その叔母様と一緒に踊られた「月」は、飄々として楽しい舞台。後から伺ったところ、右近先生お形見の衣裳だとか。叔母様から会主を引き継がれ、ますます充実した舞台を見せていただけると思うと、私も奮起せざるを得ない。

 

 

夜の部 名古屋をどり

夜の部の新作「西川右近の一生」
右近先生の足跡にさまざまな舞台作品を織り混ぜ、吹き寄せで構成。

千雅お家元をはじめとした西川の皆様が、舞台上に映し出される過去の右近先生の舞台映像とリンクしながら踊られる。

 

終盤、船弁慶の引っ込み、花道に立たれた千雅お家元、舞台上には映像の右近先生。その動きはピッタリと合い、右近先生がそこにいらっしゃって、西川流のこの先を見守っているようでもあり、鳥肌が止まらなかった。

確かに右近先生がいた。あの場に。会場の誰もが感じていたはずだ。

 

そしてフィナーレでは千雅お家元が振る晒しが、ふわふわと上昇気流に乗ったように空中に舞い、ふと「あ…右近先生は上っていかれたな」と思った瞬間、涙が止まらなくなった。

 

 

託された者

私は誰かを見送ったあとの「残された者」という表現があまり好きではない。これでは置いてけぼりをくらったみたいだ。

 

今日の舞台を拝見して「残された者」ではなく「託された者」なんだとはっきり分かった。先代から託された者は、さらに次代へ託していく。

 

託す物とは何か。振りという財産?芸風?それもあるかもしれない。しかし一番大きな物は、スピリットではないか。挑戦すること、変化することを恐れないこと、芯がブレないということ、そして続けるということ。続けていくということ。

 

右近先生が身をもって教えてくださったと、今日の舞台を拝見して考えている。