のど自慢

もう期日も過ぎたから言ってしまうが、何をとち狂ったのか、のど自慢に応募していた。

時節柄「開催されないんじゃないか」と思ってはいたが、悪い予感は当たるもので、予選会すら開かれず中止になってしまった。昨今の状況を考えれば至極当然のことである。

 

狭き門

のど自慢の出場希望は毎回相当な数になるらしく、葉書による書類選考で250組まで絞られ、そこから前日の予選会で選ばれた20組が生放送で歌えるという、これだけでも宝くじに当たるようなものである。そこから今週のチャンピオンやら、さらに選抜され、NHKホールで行われる年間チャンピオン大会に出場ともなると、とんでもない確率になる。

 

のど自慢にエントリーするには、往復はがきに氏名、年齢、職業などと共に、曲目と選曲理由を書かなければならない。過去のチャンピオンを追った番組をみてみると「亡き母が好きだった」とか「辛い時に励まされた」とか、どうやらそういった筋がいいようだ。私にもタイムリーでとっておきのエピソードがあり、曲の内容ともマッチして「こりゃいいぞぉ」と、ひとり鼻息を荒くしていた。

 

歌唱練習

エントリーの葉書を出し、歌唱練習にとりかかる。流石にカラオケボックスで練習はできない。車の運転をしながら鼻歌程度に歌うことはあっても、勢い余って熱唱でもしようものなら運転が疎かになってしまうし、信号待ちで隣の車の運転手がとんでもない形相で歌っていたら、即座に通報されるか、こっそり撮影されてネットで晒されるのが関の山である。

 

近隣の迷惑にならず、思う存分ひとりで歌える唯一の場所を見つけた。私が事務仕事をする部屋である。ここは建物の中でも一番隅にあり、隣は駐車場。パソコンもエアコンもある。そして私以外の出入りはない。これほどうってつけの場所が他にあるだろうか。私はここで朝な夕なにエントリー曲を延々と歌っていた。人が見たら狐憑きと思われただろう。

 

おめでたい人

私は昔から「決まってもないことを妄想して突っ走る癖」があり、だからこそ花をやっているのかもしれないのだが、今回もその癖は存分に発揮された。

 

ワンコーラス終わるあたりで脳内では合格の鐘が鳴り響き、エンディングでチャンピオンに選ばれ、目標は年間チャンピオン大会だっ!NHKホールに行くぞ!!くらいのことは思っていた。おめでたいにも程があるというものである。

 

しかし出るからには目標は大きくないとつまらないではないか。…というか、出ると決まったわけではないし、そもそも書類を出しただけなのだが。どれだけ誇大妄想が激しいのだろう。今となっては虚しいばかりだ。

 

叔父

さて少し話が逸れるが、私の母の妹夫妻は、仕事をリタイヤしてから民謡の稽古を再開している。叔父は昔から歌が上手く、年に一度の発表会では、親戚の贔屓目を抜きにしても、「聞き惚れる」歌声を披露している。

 

ただ少し残念なのは、歌う直前まで「自信がない」だの「歌詞が覚えられない」だのと、かなりネガティブになってしまうところがあって、姪の結婚式で新郎新婦を先導しながら秋田長持唄を歌うことになった時は、披露宴の前日まで「歌えない」「演出を変えろ」と駄々をこね、開宴直前には真っ青な顔色になっていた。

 

それがどのタイミングでスイッチが入ったのか皆目見当もつかないが、いざ扉が開くと、朗々と歌いながら先導し、新郎新婦が高砂に着いたタイミングで

〽︎蝶よナーヨー 花よとヨー 育てた娘

と歌った時には、親戚一同、涙、涙であった(新婦側親族だけが泣いていたのだが)

 

かなり話が逸れてしまったが、この叔父にも、のど自慢に出ないかと誘ってみた。案の定「歌える自信がない」と言っていたのだが、続けて「だって民謡の先輩も出るって言ってるんだぞ?その人を差し置いて自分が合格したら、稽古の時に合わせる顔がないじゃないか」と宣いた。

 

さすがというか何というか。この叔父もすっかり合格するつもりでいたのである。この叔父という人は、私の母の妹の連れ合いだから、私と直接の血の繋がりはない。しかし思考や突っ走ってしまうところが驚くほど似ているのだ。これはきっと妻(叔母)の影響に違いない。

 

結局「中止のお知らせ」の葉書一枚で、一連の大騒ぎはあっけなく終わった。冒頭に「本戦に出られるのは宝くじに当たるようなものだ」と書いたが、まさしくその通りで、終わってしまえば全て泡沫の夢。しかし陰鬱な日々の中で、ちょっとだけ明るい妄想ができただけでも良しとしたい。

 

イロモノ

ところでずっと曲目についての言及を避けていることにお気づきだろうか。これは「次回チャンスがあれば同じ曲でリベンジする」という新たな目標があるからで、それまでは口外しない。

 

ただひとつ、実は今回エントリーしたと話すと、決まって「ユーミン歌うつもりだったの?」と聞かれたが、そんなトンチキなことをするわけがない。

 

そりゃユーミンの曲は、全曲暗譜、歌詞もバッチリ、ほぼ原キーで歌えるし、例えば「まちぶせ」は振りも完コピ(土井甫先生振付)だが、それを生放送で披露するのは、いくら何でもどうかしている。そもそも、四十路の男が日曜午後の全国放送でユーミンを歌う姿を想像してほしい。

♪もうすぐ 私 きっと あなたを振り向かせるぅぅぅぅ 

などとカメラに向かって指差しながら目線を合わせたところで、誰を振り向かせるというのか。想像しただけでもおぞましい絵面だ。違う意味で振り向く人は多いかもしれない。

 

というか、これで万に一つでもイロモノ扱いで本戦に出たとして、ネットは大炎上必至だ。花の仕事にだって悪い影響しか出ないだろう。
(ここまで書いておいて今更なのだが)

 

もし私の完コピ「まちぶせ」が見たければ(そんな酔狂な御仁はいないと思うが)私がベロンベロンに酔ったタイミングでリクエストしていただきたい。100回に1回くらいの割合でやると思う。