4年ぶりのニューアルバムは絶望的な状況の中に射す、一筋の光のようだった。
12月1日に発売されたこのアルバム。手元には届いていたのだが、落ち着いて聴くにはあまりにもバタバタしていて、ようやく開封できた時には15日になってしまった。
じんわりと温かい感動
全編通して聴くと、過去にリリースされたアルバムから続く流れがあるのではないかと思うに至る。
2013年「POP CLASSICO」が発売された当時、私はこんな感想を書いた。
「(いい意味での)老い」と「侘び」、そして「人生の肯定」だと思いました。
2016年リリース「宇宙図書館」の時は
「生と死の距離感」
過去はどんどん遠くになるけれど、未来は過去を土台にしているから、ずっと繋がっている未来も、きっと永遠なんだと思う。
老いて、死が訪れ、肉体が滅び、あとに残るのは「愛」
誰しもいつかは死ぬ。物質はいつかは滅びる。けれどそこにあった事実と感情は永遠に残る。
今回の新譜「深海の街」発売時のコピーには「愛しか残らない」と書かれている。まさしくこの一言に尽きると思う。
90年代までのパワーで押し切るユーミンはいない。12曲が身体を通り過ぎた後に残るのは、力が漲るような種類の感情ではない。もう二度と会えない人たちへの追慕、過ぎ去った日々がいかに愛に溢れていたのかと気づかされる、じんわりと温かい感動だった。
聴き終わってから短い感想をTwitterに書き、ふとニュースを見ると、お世話になった方の訃報が流れていた。確かにショックなニュースだったけれど、どこか「一つの時代」が終わっていくなと、ある種、諦観にも似た感情を持った。
時は無常に過ぎていくんだなって。 私たちの仕事は、モノとしては何も残らないかもしれないけれど、その時代の誰かの心に少しでも引っかかりを残すことができれば、それはとてもいい人生だったんじゃないかなって。
Twitterには感謝の気持ちを綴った。
10年に一度のやらかし
私は10年に一度くらい何かをやらかす。
2010年はピアニストとコラボレーションして、いけばなライブをやった。客席を埋める当てもないのに……である。どこからあんな突拍子もないことをやろうと思ったのか、たぶん勢いしかなかったのだろう。この時は2009年に発売された「そしてもう一度夢見るだろう」をベースにした。
2020年は、春先にノリタケの森での二人展、さらに10月には初個展という大きくやらかすイベントがあり、他にも様々な展覧会やお仕事がギッシリ詰まっていた。
やる気に満ちていた1月から一転して、不穏な空気が漂い始めた2月上旬から厭な予感はしていた。しかし予感だけでブレーキをかけるわけにはいかない。
大丈夫。きっと大丈夫と自らを奮い立たせ、個々の作品構想や展覧会のレイアウトなどを考えていた。しかしマイナスな予感というのは当たるもので、偶然にも今回収録されている【ノートルダム】のライナーノーツには、こう書かれている。
去年4月、火災で焼失してしまった(ノートルダム寺院の)ニュースを観て、深い悲しみを感じたのと同時に不安な、何かこの世の結界が壊れるような予感がしました
https://sp.universal-music.co.jp/yuming/shinkainomachi/interview/index2.html
3月初旬。いよいよ状況が厳しくなる中、ノリタケの森での二人展が迫る。本当に開催できるのかギリギリまで待って開催に踏み切ったが、蓋を開けてみれば、ほぼ無観客、ギャラリーはじまって以来の最低入場者数を記録した。
会期最終日から2日経った4月7日、関東・関西・九州の一部に非常事態宣言が出され、16日には全国に拡大された。そんな状況下での開催にお叱りもいただいた。
私に限らず、誰しも明日への不安でいっぱいで、同じ景色を見ているはずなのに、どこかモノトーンの、しかも暗い靄がかかったような重苦しい空気を感じている。
街を歩けば、同じ建物、同じ街並みなのに、人がいない。それは時空が歪んで、自分一人だけが残されたような、底知れぬ恐怖に怯えている。
人と人とは「ソーシャルディスタンス」という名のもとに分断され、デジタルな画面を通してかろうじて交流ができている。
憑き物が落ちた
タイトルチューン【深海の街】をテーマにした花作品は、2019年11月に発表している。
そして2020年10月に予定されていた個展では、もう一度この曲をテーマに、全く違うアプローチで発表するつもりだった。作品図も完成し、あとはパーツ製作にかかるだけになっていた。
日々刻々と変化する市中の感染状況を見るにつけ、気温が下がり始める10月の開催はどうなのか。
開催予定の施設側とも、またお弟子さんとも話し合いを重ねた7月半ば、もうこれ以上決断を伸ばしては、多方面に迷惑がかかると判断し、個展延期を正式に決めた。
その時の絶望感、悔しさ、もう開けなくなるかもしれないという恐怖、そんな感情をぶつける先のない閉塞感、非常時における表現者の無力……。
様々な思いがぐるぐると巡り、それまで何とか踏ん張って緩めることのなかった糸が、プツンと音を立てて切れた気がした。一旦切れてしまった糸は容易に戻すことができず、空虚な日々が続いた。
華道家とは平穏な時にしか成り立たないものなのか。こんな非常時に植物を使った造形は何の役に立つというのか。
そんな折、友人のフラワーデザイナーのお手伝いをすることになった。あるCMのための巨大な花作品。早朝から制作が始まり、日中は撮影が続いた。炎天下では花は一日しか持たず、撮影が終わった夕暮れ時には、すべての花がぐったりとしていた。
暮れゆく空を背景にそびえる作品は、確かに枯れかけてはいたけれど、とても美しかった。花は人を癒し、安らぎを与え、命の終わりまでをも見せ、心を動かす。どんなに言葉を紡いでも、植物の力を言い表すことは難しい。
そうだ。これを美しいと思える以上、私は華道家なんだ。個展が開けなくても、作品発表する場が少なくなっても、たとえ誰の目に触れることがなくても、私は花をいけ続けよう。
憑き物が落ちた感じがした。
散りてなお 咲いている 君の面影胸に
またひとり歩き出す 金色に頬を染めて
いつの日か帰らむと 想い描く景色は
現し世に もう無いのに 誰も消し去れはしない
【散りてなお】
生み出すことをやめない
私の中には生まれ来る作品たちが日々成長を遂げている。深海の街もそうだ。特にこの作品は、今まで使わなかった表現方法に挑戦したかったもので、思い入れは深い。
実は先日、某ギャラリーから展覧会開催の要請があった。スケジュールがどうしても合わず、お受けできなかった。もったいない話である。
お話をしている中で、春の無観客展覧会の話になり、さぞかし大変な思いをされたでしょうと気遣ってくださった。
「あんなシュールな体験は、誰でもできるもんじゃないです。むしろ表現者としては貴重なものだったと、そして今後の活動の糧ともなると考えています」
そうお答えすると、先方は驚かれていたが、そんなふうに考えられるようになった自分自身が一番驚いている。
2010年のイベントの時に何百回も聴き込んだ「ピカデリー・サーカス」の最後は、「誰もまだ知らぬ歌と 雨に灯りだす街の灯と そして もう一度夢見るだろう」と結んでいる。
これはもしかしたら今と同じ状況なのかもしれない。絶望的な状況でも、表現者は生み出すことをやめてはならない。過去のすべてを貪欲に糧として未来に繋げるのが私のやり方だ。というか、他の方法を知らないだけだが。
いつか個展を開いた時、深海の街は必ず出す。そしてその作品を制作するとき、2020年という年を思い出し、そしてこのアルバムを何百回と聴き込むであろう。
かならず わかる ふり返れば
何を追いかけたか
それは変わることのない
あと100年経っても
【1920】
このアルバムには今の空気感が詰まっている。