配信

この数ヶ月で、仕事のやり方や生活スタイルが激変した方も多いだろう。

これは私に限ったことではないし、こんな話をしてもただひたすら暗くなるばかりだからこれ以上触れないが、こんな時に何ができるかな?と考えたのが、「14日間チャレンジ 毎日いっすい」だった。

 

そして今までは「それは無理だろう」と思っていたオンラインでの稽古に挑戦している。これはうちの教室に通っているお弟子は、基本がある程度できるからこそ可能なのだが、やってみると結構面白い。

 

他に何かないかな?と考えていたら、ある思い出が蘇った。しかしこれは私の黒歴史でもあるのだが、もう時効(?)だと割り切って洗いざらい白状しよう。

 

その昔、私はある個人サイトを運営していた。1999年頃の話だ。ここまではまだ比較的グレーな話である。その当時は個人サイトの黎明期で、ジオシティーズだのtripodだのと、無料ホームページサービスがあって、私もそこを利用していた…と思う(記憶にない)

 

 

インターネット老人会

あの頃、大方の個人サイトといえば、日記が主だった(ような気がする)
これはブログというツールになったし、さらにはTwitterやFacebook、Instagramに発展したわけで、今とさほど変わっていない。

 

当時、すでにいけばなを始めていた私は、作品をネット上に公開していた。考えてみたら、今も昔もやってることはほとんど変わってない。自我と自己顕示欲の強さは、今とこれっぽっちも変わってないことに驚く。むしろ当時の方がオラオラウェイウェイしていたのではないだろうか。若さって怖い。

 

当時との違いといえば、サイトにはアクセスカウンターを付けて、キリ番を踏んだら……やめよう。これ系統の話をしていると、ただのインターネット老人会だ。

 

 

珍妙なコンテンツ

さてここからが本題である。これから先は私の中でも暗黒歴史なので、あまり触れたくはなかったのだが、話を進めるためには、どうしても避けて通れない。そして、もし私の親戚関係の方が以降を読んだとしても、親族の集まりの時に声高に言わないでいただきたい。こっそりニヤリとしていただきたい所存である。それほど私にとっては暗黒なのだ。

 

先述の私の個人サイトには、珍妙なコンテンツがあった。ネットラジオだ。今でこそTwitterやインスタで気軽にライブ配信をするのも珍しくないが、当時、一個人がラジオをやるというのはまだ珍しかったのではないだろうか。

 

当時は生配信をやるほどの設備も環境もなく、事前収録したものをアップしていた。1回20分ほどの番組(と言っていいのか?)を毎週更新していたのだが、どこにそんな時間的余裕があったのか、そしてどこにそれだけ話すネタがあったのか、今となっては分からない。

 

ついでに思い出したのだが、当時は某匿名掲示板で随分叩かれたものである。そう考えると、社会なんて20年経ったところで、ちっとも変わってはいない。

 

ちなみに当時のデータは、ハードディスクが壊れた時に一緒に飛んだ。手元にはない。もし音源を持ってる方がいたら、そっと処分して欲しい。間違っても私に送ってこないで。

 

そして話は冒頭に戻る。花という視覚に訴えるものに携わっている人間が、ラジオという聴覚のみのメディアをやったら面白いかもしれない。そんなことをふと考えた。

 

 

音だけの世界

私はラジオ好きである。自ら配信するくらい…というのは置いといて。試験勉強には深夜ラジオが流れていたし、今でも事務作業やクルマの運転の際には、ラジオを聴いている。音だけの世界は、聴き手も想像力を働かせることができる。

 

そんなことをツラツラ考えていたら、思わずオーディオのインターフェイスを買いそうになってしまった。危ない危ない。また黒歴史を刻もうというのか。後先考えずにガジェットを買ってしまうのは私の悪い癖である。

 

そもそもいま私がラジオ配信したとして、これほど様々なメディアがある中で、誰が聞くというのか。そしてそこまで話すネタはあるのか。そんな時間あるのか。きっとすぐにゲストに頼ることになると思うが、あ…ん…? …それはそれで面白そうだな…。今ならネットを使えば、離れていてもトークは成立するしな…、というか、律儀に定期的に配信をしなくてもいいじゃないか……と、正直かなり揺れている。