非常時に思う

世間が危機に瀕した時、花は…文化は、そこに携わる人間は何ができるのかと思う。

3.11の衝撃

2011年3月11日。私はナゴヤドームの特設ステージに立っていた。
「こんなふうに花をいけると、豪華に見えますよ」なんて、能天気に語っていた。

 

その2時間後、日本は未曾有の大災害に見舞われた。ステージ上で拍手を浴びて、いい気分の私が観たテレビの映像は、現実感がなかった。真っ先に「家族は無事か、スタッフは無事か」と思った。

 

あれから9年。今度は未知のウイルスに世界中がパニックになっている。各地のイベントや興行は中止を余儀なくされ、経済活動も停滞どころか悪化の一途をたどっている。口を開けば暗い話題しか出てこない。出口の見えない状況下で、こんな時、華道家という職業は、誰の何の役に立つというのだろう。

 

東日本大震災の時、私はひどく無力感に苛まれた。食料を運べるわけでもない。ボランティアに行けるわけでもない。

 

そんな中、募金を集めるイベントに出ないかとお誘いがあった。私は、犠牲になられた方の御魂が安らかであるように、被災された方々の苦しみが一日も早く、少しでも軽くなられるようにとの想いを込めて、空を自由に飛べる鳥をモチーフにした作品をライブ形式でいけた。

 

人が花を用いる時、それは自らの感情を花に託して他人に伝える時。古くは死者を花と共に葬ったという。惜別の情を花に託しているのだ。

 

私はそれまで誰かの為に花をいけたことがなかった。よく「作品を見て癒されました」という感想をいただくが、自分が表現したい世界観を花で表現しているだけで、誰かを癒そうなどとは微塵も思っていなかった。しかしこの時は、初めて花をいけながら鎮魂と復興を強く心から願ったことを、今も鮮明に覚えている。

 

いま日本は、世界は、9年前と同じような重苦しい雰囲気に包まれている。花に携わる者として、あの時と同じように、私には何ができるのだろうとずっと考えてきた。そして私なりに一つの結論を出した。

 

 

誰かのために花をいけよう

今はTwitterもFacebookもInstagramもある。9年前よりもずっと気軽に作品画像が見てもらえる。

 

家から出られなくて鬱々としている方、強いストレスに晒されながら出勤を続けなければならない方、そしてギリギリのところで頑張ってくださっている医療関係者の方。そんな皆さんに一瞬でも安らぎを感じてもらえたらと、そしてもし可能であれば自宅に一輪だけでも花を飾ることの楽しさを伝えられたらと、毎日1作品ずつ作品画像をアップしていくことにした。

 

能天気だと誹りを受けるかもしれない。でもこの気持ちだけでも、誰かに、せめて近くの人に届くといいなと思っている。

 

 

自分に課したもの

今回の企画は一人で始めて、一人で進行して、一人で……とあんまり繰り返すと暗くなるが、要は勝手にやってるだけなのだが、自分自身に課したものがある。

 

 
1.今の時季の花を使う(生花店で手に入る・庭で咲いている)
2.少ない花材
3.簡単にマネできる

 

6日目にアップしたシンビジウムなんて、かなり豪華な花材だが、実はあれも庭で咲いていたものだ。数年前にいただいた鉢植えの花期が終わり、庭の隅でほったらかしにしておいたら花が咲いていた。

 

簡単にマネできるのか?ということについては、自分自身でもいささか疑問が残る。花器に投入れる形を多くしているが、変化を持たせるためにいくつかの作品には剣山を用いた。また、複雑なテクニックが必要なものはやっていないつもりだが、花を触ったことがない方からすると「どうなってんだ?」となるだろう。そんな時は気軽に質問していただければいい。

 

 

色づく日々

どんなに重苦しくても、時間だけは誰にでも平等に流れていく。そんな中で生活空間に少しだけ彩りを加えることで驚くほど潤いが生まれる。グレーがかった日々に色が出てくる。花にはそんな力がある。日常に少しの花があるだけで、気持ちはグッと明るくなる。特に「Stay home」と言われている今こそ花を飾っていただきたい。

 

私も誰かの癒しと、医療関係の皆さまへの感謝と、一刻もはやい終息願い、花をいけ続けよう。