夢には2種類ある。睡眠時にみる夢と、あんなこといいなできたらいいなの夢。
私の場合、あんなこといいなできたらいいなの夢は、本当に突拍子もないことを考えることがあるのだが、睡眠時に見る夢も、負けず劣らず突拍子もない内容だったりする。
なんでクルーズ船のスタッフになっていたのか皆目見当もつかないし、行ったこともないコスタリカの港が舞台だなんて、その名はどこから出てきたんだ。
友人も港湾関係の仕事ではない。家を売る営業マンのはずだ(転職していなければ)
それにしても妙に解像度の高い夢だった。コスタリカの温度や湿度、港の潮の匂いまで感じられた。
何度も言うが、コスタリカどころかアメリカ大陸に上陸したことすらないから、リアルコスタリカが暑いのか寒いのかすら知らない。
コスタリカの実際は知らないが、私の友人は実際の知り合いだから、夢に出てきてもそのままだった。金沢出身、ほんのり方言が残る友人の喋り方も懐かしかった。
氷河期世代
その友人との出会いは、大学のオリエンテーション。私の前に座っていたのが友人で、振り返るやいなや「友達になってくれ」と言われ、コミュ力が高いんだかぶっきらぼうなんだか、とにかく驚いたことを覚えている。
大学入学は20数年前と思っていたが、計算してみたら、なんと27年前である。四半世紀なんてとうに過ぎていた。いくら記憶力がいい私でも、友人との出会いまで鮮明に覚えているなんて、我ながらちょっと気持ち悪い。
さて、私の世代は、超就職氷河期世代である。なりたい職業に就くために就職浪人をする人もいた。非正規で働き始めた人もいた。それほど本当に就職先がなかった世代である。
私も何やかやあって、今は華道家としてお仕事をいただいたり、教室を開講してお弟子さんがいたりもするが、それこそ学生の頃なんて花を仕事にするなんて微塵も思っていなかった。
そりゃ一応、高校の時から茶道・華道は習っていたが、いくら就職が厳しいからといって華道家という選択肢は考えにくかろう。
それがどうして今こうなっちゃってるのかなー?と考えれば考えるほど不思議なもんである。こうなっちゃったって、別に悪い道に進んでいるわけではないが。
私が本格的に華道家を夢見たのは、20代半ばごろだったろうか。当初はまさしく突拍子もない夢だった。しかしそれが今の自分のスタート地点になっているが、それだって、今から20年も前の話である。おじちゃんびっくり。
夢は無限大に広がる、その人だけに許された特権だ。これは少年だろうと青年だろうとおじちゃんだろうと変わらない。あれもしたい、これもしたいと思うことが、いけばなでは作品制作の第一歩となる。
さて、次はどんな夢を見ようかな。
コスタリカで花をいけようか。