X(旧Twitter)は、時に思いもかけない出会いや再会をもたらしてくれる。
私のXアカウントは「華道家 奥谷一翠」になっている。
ただ問題は、その投稿内容である。
華道家のアカウントなのだから、花の話題に終始しておけばよいものの、やれ歌舞伎だ、やれユーミンだと、素っ頓狂な内容ばかり目立つのは、私の不徳といたすところ。
だったら花と趣味のアカウントを分ければいいものを、そこまで器用な人間ではない私は、なんだかんだと理由をつけてそのままにしている。
いきなりフルネームで本名
そろそろ年末の準備をと思っていた12月上旬。
このサイトのお問い合わせフォームからメールが届いた。
名前の欄には下の名前の一部だけ書いてある。仮にここでは「リョウ」としよう。
その文面には私の本名やら、25年前にユーミンのライブに一緒に行ったことがある、あの当時こんな人も一緒に遊んでいた、君には「リョウちゃん」と呼ばれていた…などと書かれていて、驚く以前に怖くなってしまった。
「奥谷一翠」は花の世界での活動名。雅号(がごう)と言う。本名ではない。
芸名とかハンドルネームとか、源氏名みたいなもんだと思っていただければいい。
このサイトはもちろん、Xだって一翠名義だ。姓の奥谷は本名だけど。
それほど人格を変えているわけではないが、花の仕事をしているとき、一翠名義の文章を書いているときは、それなりに「一翠なんだからな、一翠だぞ、ちゃんとしろよ」と頭の片隅にはある(あってこの程度なのだが)
そんな中でお問い合わせフォームから、いきなりフルネームの本名やら、25年も前のエピソードやらを切り出されたら、そりゃいくらなんでも恐怖である。ましてあちらは「リョウ」としか書いていない。
ただ書かれていた内容に思い当たる節はいくつかあって、もしかしてあの人か?と、恐る恐る返信をした。
すると思っていた通りの方で、私が忘れていたことまで書いてさらに返信してくださった。
これは間違いないと、〇〇さんですか?とあちらの本名の姓だけ書いたら、今度はこちらが気味悪がられてしまった。
どっちもどっちである。
そもそも自分の名前くらい、最初からフルネームで書いてくれよ。
25年前といえば、私はまだ大学生。ひょんなことから知り合ったリョウさんは、私よりも年上で、当時よく遊んでもらったお兄さんだったと記憶しているのだが、上京されてからは疎遠になってしまった。
それがどうして今になって?
聞けば、今年の苗場で13年ぶりに会った友人のことを書いた私の投稿を見かけ、どこかで見た顔だ…ん?奥谷?そうだ!あいつは奥谷だった!懐かしいな、連絡を取ろうかな…いや、当時のことは思い出しくない過去かもしれない、でも……と逡巡していたという。
それがこのツイート(ポスト)
苗場は奇蹟が起こる場所。
2010年「Yuming Tribute Piano Concert」で共演した、笛木健治さん、アルピーナさん(@dqalpina)
13年ぶりの3人が偶然の再会。
※アルピーナさんは「よそゆき顔」なので、お顔に画像加工を施しています。 pic.twitter.com/xZBafYftJ0
— 華道家 奥谷一翠 (@issui1977) February 10, 2023
そういうことなら、とっとと連絡を取ってくれればいいのに、いろいろ思いを巡らせているうちに年末になってしまい、年が変わらないうちにと連絡を取ってくれたらしい。
埃のかぶった引き出し
当時使っていたスケジュール帳のアドレス欄には、リョウさんの連絡先もしっかりと残っていた。
住所も自宅の固定電話番号も、時代を感じるポケットベルの番号も、当時普及し始めていた携帯電話の番号も書かれていた。ちなみに携帯電話番号は030で始まる10ケタである。恐ろしく古い話だ。
いとも簡単に住所から電話番号まで教え合っていた当時。個人情報をうるさく言っていなかったのも、今となっては別の意味で恐ろしい話である。
さて、しばらく懐かしい懐かしいと文面でやり取りをしていたのだが、これは電話をしてみようとなった。
「もしもし」
ああそうだ。この声だ。久しぶりに聞く声も喋り方も、当時とちっとも変わっていなかった。
もっとよそよそしくなってしまうだろうかと案じていたが杞憂だった。
出会った頃の話、一緒に遊んでいた当時の仲間の話、疎遠になってしまった原因、その後の話、そして近況。
話せば話すほど記憶の奥深く、もう二度と開けることのないと思っていた、埃のかぶった引き出しを開けた気分になる。けれどその中にしまわれた思い出は色褪せることなく、鮮やかに蘇ってきた。
「当時君は俺のことを『リョウちゃん』って呼んでたね」
いや、年上の方にそんな呼び方してないと思うけどなぁ ○○さんって名字で呼んでたはず
「いや年上じゃないよ?同い年だよ」
そんなわけ…え?何年生まれ? えー!? 一緒?
新事実である。ずっとお兄さんだと思ってた。
一事が万事こんな調子だから話の切れ目がない。
25年の答え合わせ
2月にXで投稿を見つけてから半年以上、ちょくちょく投稿を見ていたと言われ、車がパンクしたらしいねとか、わざわざ新幹線でアイス食べるかね?とか、ネット上に書いたことをリアルに言われると、それはそれでちょっと気持ち悪い。
そこまで見てるならフォロワーなのかと思いきや、いちいち検索して見ているらしい。せめてフォローくらいせんかい。
そもそも花の感想が一つもなかったのが、今となっては腑に落ちない。
「もう腹を割って話そう」
などと某テレビ番組の名シーンのような発言まで飛び出し、あれやこれやと話が弾んだ。それはさながら当時の答え合わせのようだった。
話は尽きず、気が付けば明け方になっていた。
ネットの功罪
13年ぶりに再会した友人のことを書いた話に、25年前の友人が反応してくれて再会するなど、小説だったらずいぶんご都合主義的な話である。
けれどこれは本当に起こった話だし、誰でもない自分が一番驚いている。
この驚きと興奮が少しでも伝わっただろうか。
ネット上で嫌な思いをされた方は多いと思う。私も何度か怖い思いをした。しかしそれ以上に思いもかけない出会いに恵まれることもある。
今回のこと然り、奈留島の件もある。(奈留島についてはこちらから)
もしこの文章を読んで、私のことを懐かしく思われた方がいたら、是非ご連絡いただきたい。