初の俳優祭、初の国立劇場。この際だからと、初体験づくしをすることにした。
しかし齢四十も半ばにさしかかり、だいたい一度は経験済みである。何かあるかな?と新幹線に乗りながら考えていると、新幹線の車内販売が2023年10月で終了することを思いだした。
年に何度も新幹線に乗っているが、車内販売で何かを買うのは、そのうち一度か二度くらいで、例えば朝早い時間帯ならホットコーヒーを、昼過ぎで小腹が空いたときにスナック菓子を買う程度だ。
#シンカンセンスゴイカタイアイス というハッシュタグがある。
車内販売のスジャータのアイスクリームがやたら固いというものだ。このアイス、私は食べたことがない。
これだ。シンカンセンスゴイカタイアイス童貞を捨てるぞ!
…品のない決意表明である。
そんな決意とうらはらに、この列車、ちっとも車内販売が来ない。どういうことだ。俳優祭昼の部は12時開演。小腹は満たしておきたい。弁当とアイスが欲しいのに、列車は小田原を過ぎている。
ヤキモキしていたら、ようやく後方から車内販売が来た。これほど車内販売を待ち望んだことはない。
タイミング
車内販売を呼び止めるには、ちょっとしたコツがいる。
あまりに早く声をかけてもいけないし、少しでもタイミングを逃すと通り過ぎてしまう。大声で呼び止めては他の乗客の迷惑だし、小さすぎても気づいてもらえない可能性がある。
前方から来る場合には距離を測ることもできるが、後方からとなると呼び止め難易度は一気に跳ね上がる。
気配を感じ取りながら、通路を挟んだ斜め前の座席あたりに視線を向け、その視界にワゴンが入った瞬間が呼び止めのベストタイミングだ。
そして乗りなれた乗客を装い、スマートに注文と会計を済ませることがデキる大人というものだ。
こんなことをグルグル考えていたら妙に緊張してきてしまった。後方からやってくるワゴン。「あと5メートル…4メートル…」私はスナイパーか?
視界にワゴンが入った。
今だ。
…と思った瞬間、すぐ後ろの席の人が呼び止めた。
なんというトラップ。あんたさっきまで寝てたじゃないか。
気を取り直して、動き出したワゴンを確認し「すみません」と呼び止める私の声は、多少上ずっていたと思う。ずっと待ち焦がれた車内販売である。遠距離恋愛しているみたいだ。ここは新幹線。シンデレラエクスプレスである(平日真っ昼間だが)
弁当とアイスクリームを注文し、Suicaで払う。流れるような一連の所作、何度もシミュレーションをした甲斐があったというものである。
優しいお姉さんは、一瞬「え?」とした表情を浮かべたが、テーブルの上に弁当とアイスを置いてくれた。
いよいよアイスと対峙する。一面霜だらけで、いかにも固そうだ。強敵オーラむんむんである。
しかし私には時間がない。新幹線は容赦ないスピードで東京駅に向かって爆走している。
私はそれに負けないくらいのスピードで弁当をやっつけた。旅情もへったくれもない。
強敵
そしていよいよラスボス、アイスクリームである。いくら弁当を大急ぎで食べたといっても、それなりに時間は経っている。そんなに固いわけ…な…い……
おい、本当に固いなっ!!
なんだこれ。
シンカンセンスゴイカタイアイス、ホントウニカタイ。
確かに表面はそれなりに時間が経っているから柔らかい。けれど芯が固いんだ。液体窒素にでも浸したかのようにガッチガチである。
プラスチックのスプーンがしなっている。しかしここでこれを折るわけにいかない。
そんな事態になったら一巻の終わり、敗北である。
列車は新横浜を出た。20分弱で東京駅だ。そして思っていたよりアイスは量がある。食べきれるか?
そもそもな話だが、なぜ私は新幹線の中でアイスと格闘し、そしてこれほどまでに焦っているんだ。どうしてこうなった。
品川到着。アイスの残りは三分の一まで減った。ゴールが見えてきた。
アイスの固さと、スプーンのしなりは、私の右手に絶妙な緊張感を与え続けている。さすがラスボスである。
じわりじわりと私のメンタルとフィジカルを削っていく。しかしカロリーだけは着実に与え続けている。
恐るべし名酪。
ふと車窓に目をやると、浜松町が見えた。もう数分でタイムアップだ。「まもなく終点、東京です」とアナウンスも流れている。意を決して最後の塊を一気に頬張る。
ここまで苦しい思いをしてまでアイスを食べる理由がどこにも見当たらず、泣きたくなる。
今さらながら車内販売のお姉さんの「え?」の意図が理解できた。「今から食べても東京駅までに食べきれるか微妙ですよ」くらい言ってくれればいいではないか。
ただしこれは完全な八つ当たりである。優しい車内販売のお姉さん、ごめんなさい。貴女に非はありません。
悪いのはこのアイスを舐めてかかった私です。
勝負の行方
有楽町駅、その奥の東京国際フォーラムを横目に、なんとか食べきった。
勝った。私は勝った。シンカンセンスゴイカタイアイスに完全勝利である。
優越感に浸りそうになったが、勝ったからと言って賞品も賞金もない。もちろん誰一人褒めてはくれない。残ったのは冷え切ってジンジンする口中だけだ。
私は荷物と虚しさを抱え、そそくさと新幹線を降りた。