1972年7月5日 「返事はいらない」をリリースしたユーミン。
私が彼女を知ったのは、映画「魔女の宅急便」
あのひとの ママに会うために
今ひとり 列車に乗ったの
たそがれせまる 街並みや車の流れ
横目で追い越して
なんだこのオシャレな世界は!
よく「雷に打たれたような」と表現することがあるが、正直それではない。
どちらかと言えば、ジワジワ効いてくる感じ。
思えば、このジワジワが沼の入り口だったのだろう。ジワジワからズブズブと深みにハマって35年近い。
その間、いけばなと出会い、何かの拍子に「ユーミンの世界観といけばなは似ている」と身勝手な結論を導き出し、ユーミンの楽曲から着想を得て作品にすることが幾たびもあった。
見ることのできた景色
それは時に小さなウエディングドレスを仕立てたり、夜なべ仕事にダメージジーンズを作ったりと、我ながら何をやっているのか分からないこともしばしば。
同じユーミンファンのピアニストの方とコラボステージやら、ナゴヤドームでのデモンストレーションステージで【最後の春休み】をテーマに作品制作後、唐突に歌い出したり、奈留島まで行って【瞳を閉じて】の歌碑前で花いけライブをしたりと、ユーミンファンの華道家だからこそ見ることのできた景色は多い。
雪月花
実を言うと、このサイトの冒頭に記載している「唐の詩人、白居易の…」の文章は、ピアニストとのコラボステージで配布したプログラムのご挨拶で書いた文章を抜粋し、サイト掲載用に若干の加筆をしたものである。
この文章、前半はご来場の皆さま、ご協力いただいた皆さまへの謝辞があり、後半にユーミンといけばなを絡めた文章が続く。以下、その部分。
唐の詩人、白居易の「寄殷協律」の一句「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」がわが国に伝わり「雪月花」という言葉は日本の美を象徴する語句となりました。雪はいつか融けて消え、月は毎夜その姿を変え、花はいつか散る。世の無常にも通じた世界観。はからずもユーミンの楽曲にも同じ「雪月花」という曲があります。
私が作品を制作するとき、そこにはいつもユーミンの曲がありました。ユーミンの曲には日本的な情緒があります。儚いものに美を見出し、それを愛でる。これはいけばなにも通じるものだと、私は考えます。同じ花材、花器を使っても二度と同じ作品はできません。完成したと思った作品でも、花は日々刻々とその姿を変え、そして枯れていきます。いけばな作品は静の美のようで、実は動の美なのです。(後略)
ずいぶん強引に結び付けているようだが、この考えは今でも変わっていない。先述のように誠に身勝手ではあるが、ユーミンの世界観はいけばなとの親和性が高いと思う。
花作品として「雪月花」を制作したのは2003年。
まだ花教室も弟子もいない時分で、同じくユーミンファンの友人に手伝ってもらった。
今でこそこの程度のこと一人でやれるが、当時は大騒ぎした記憶がある。
ついでに思い出したのだが、このあと食事に行き泥酔、財布を無くす失態を犯している。手伝ってくれた彼とは今でも仲良くしているが、ことあるごとに当時の話を蒸し返してくれる。
カラー、バラ、ユリ、オンシジウム
過去のユーミンの楽曲をテーマにした花作品を見返していると、大ヒットした楽曲よりもアルバム収録の、比較的渋めの曲を多く取り上げていることに気がつく。
そして比較的同じ花材を使いがちだとも発見した。
特に多い花材としては、カラー、バラ、ユリ、オンシジウム。
これはユーミン自身のイメージがそうさせるのだろう。
稀代のアーティスト
もちろんユーミンの楽曲をテーマにした作品ばかり制作してきたわけではないが、花が楽しくなってきた2000年代に発表した作品が特に多い。実はこのころに描き溜めた作品アイデアブックがあって、まだ実現できていない作品が山のようにある。
そして過去に発表した作品でも、同じテーマで練り直して発表したものもあれば、再度取り上げたいテーマもある。
その昔、ユーミンは言った。
才能は、母乳と一緒で、出さないと体に悪い
もし、私に少しでも才能があるのなら、まだまだ作品を生み出さないと体に悪いだろう。
生み出すためにはエネルギーが要る。間違いなくその源はユーミンだ。
稀代のアーティストと同時代を生きることができる幸運を噛み締め、心から彼女に感謝したい。
ユーミン おめでとう!!
そして本当にありがとう!!!