ボス

一人っ子の独身となると、私には実子はおろか甥や姪もいない。隠し子だっていない(そりゃそうだ)


 ありがたい事に、私の従弟妹たちとはとても仲良くしてくれていて、彼らの子どもたちもちょくちょく遊びに来る。
 花教室の稽古場には、お弟子さん用にお菓子を用意してあるのだが、子供たちはそこにお菓子があることをちゃんと知っていて、遊びに来るとそこへ一直線に向かう。以前はせんべいやらおかきやら、「ザ・お茶請け」といったものばかりだったのに、最近は子ども向けの物が多くなってきた。そんな物を用意する私も私だが。

 

 

おじさんなんて言わせないぞ!

さて、その子どもたちからしたら、私は「いとこおじ」にあたる。子どもも2歳、3歳くらいになってくると、私をどう呼んだらいいのか分からないようで、もうすぐ5歳になる子から「この人」と呼ばれてしまった。これでは反抗期の中学生のようではないか。きっと彼も私のことをどう呼んだらいいのか悩んだ挙句「この人」になったのだろう。

 世間的には「おじさん」と呼ばせるのが普通だろうし、私の年齢からしてもそれは何ら不自然ではない。
 しかし何より私自身が「おじさん」と呼ばれたくないのだ。定期的に白髪染めまでしておいて何をか言わんやではあるが。

 かと言って、弟子でもないのに「先生」でもなかろう。「師匠」も考えたが、それも如何なものか。将来、この子どもたちが入門するようであれば、その時「先生」なり「師匠」になるが。するかな?入門。
 では名前で呼ぶというのはどうか、いや、それはフレンドリーすぎやしないか?などと逡巡し、結果「ボス」と呼ばせることにした。

 

 

思うツボ 

-ボス―ある程度の威厳があり、呼びやすく、かつ親しみも……ある…気がする。これを友人に話したら「猿山か?」と、とんでもない感想を言っていたが、失礼な話である。

 近所に住む従妹の子は間もなく3歳になる。一週間に何度か遊びに来るその子は、ここのところ理論的に会話をするようになってきていて、でもちょっと舌足らずで「ボス」が「ボシュ」になる。そこがまた可愛らしい。
 メロメロなボシュは、何かにつけてオモチャを買い与え、完全に親の思うツボと化している。ちょっと前にはプラレールの大人買いまでさせてしまった。さすがに甘すぎやしないか?と一瞬反省したが、つい先日も出張の折、お絵かきセットをお土産に買ってしまい、何の反省もされていないことが露呈した。

 しょっちゅう遊びに来ると言っても、毎日朝から晩までいるわけでなし、食事もお風呂も保育園の送迎だってやっていない。言うなればいいとこ取りだけさせてもらっている。 ありがたいことである。