「オトナの遊び」と書くと、若干の猥雑さを感じるが、そんな話を真面目な華道家ブログでは書けない。
怖いもの知らず
私は長い間、茶道の稽古に励んで……いや、励むなどとは到底言えない。好きで楽しんできた。
ただ、好きが昂じるとは恐ろしいもので、あるとき裏千家の某先生が指導してくださる稽古茶事に参加することになった。稽古だからなんでも好きな役をやってよいと事前に言われた私は、何をとち狂ったのか「正客がやりたいです」と申し出た。当時私は二十代後半だった。
正客とはその茶事のメインゲストで、その正客の振る舞いが茶事全体の出来を左右する。なんぼ稽古だといっても、怖いもの知らずとはまさにこのこと。私の師は「お願いだから私の名前は出さないで」と事前に仰ったほどだ。
当日、茶席に伺うと、私の親世代…どころか、もう一世代上の方々ばかりが、北は北海道から、南は鹿児島まで、日本全国から「ザ・勉強!」というオーラに満ち満ちながら座っていらっしゃった。
そんな中で無謀にも正客をやりたいなどと言ってしまった身の程知らずを今更悔いたところで、もう後の祭りである。普段、どんな状況でもオッペケペーな私だが、この時ばかりはさすがに声が上ずっていた。
権太の茶会
茶事は正客と亭主の会話が重要で、使われている道具を訊ねるタイミングも決まっている。
ガチガチに緊張した私は、それまで稽古してきた全てをフル動員して臨んでいたが、どうしても定型通りの会話しかできないまま、茶事は後半の濃茶点前になった。
通常なら無言で進行する濃茶だが、この日は稽古茶事とあって、ご指導の先生がお話を始められた。もしかしたらメンタル限界の私を慮られたのかもしれない。
「僕はお芝居が好きでね、若い頃は松竹衣裳にいたんだよ。こうしてお茶の世界に入った後も、その縁あって役者さん達とお茶を楽しむことができてね。昔の役者さんはお茶の心得があったから、それはそれは楽しかった…」
茶道・華道と同じくらい歌舞伎も好きな私は、この話に前のめりになってしまった。その先生は私の祖父母世代の方だ。この世代が交遊された役者さんといえば、戦後を代表する名優ばかりではないのか?そんなことを推量していた。
「紀尾井町が南座に出た時は、生地の曲水指を…こう…抱えるように持って濃茶の点前を始めてね」
思わず「権太ですか!」と言ってしまった。…しまった!余計なことを言ったかっ!と口をつぐんだその刹那、その先生の表情は、みるみる晴れやかになられた。
「ふふふ…首は入ってなかったけどね」
これは義経千本桜すし屋の段のことだ。紀尾井町とは二代目尾上松緑丈。義経千本桜いがみの権太といえば、当たり役である。
権太役者を前にして、茶席で権太やったの!?などとアワアワしている私に、その先生は続けて
「そのとき掛けた軸は、海老蔵の押隈でね」
この海老蔵とは、のちの十一代目團十郎丈である。二代目松緑丈とは実の兄弟で、今の海老蔵丈のお爺様。
伝説の役者ばかりが出てくる。というか、客が松緑丈で、床の軸が押隈なんて、なんという茶席だろうか。贅沢というよりカオスである。
その後も「先代萩の飯炊き(茶飯)」だの「道成寺の鐘」だのと、お茶に絡めた芝居の話で大いに盛り上がり、この茶事は5時間を超えてしまった。そして正客である私以外は「ポッカーン」状態だった。
茶事二時(ちゃじ・ふたとき)と言って、茶事はおよそ4時間が約束であるし、「相客に心せよ」の精神からしても、この茶事はまるで不合格だったかもしれない。しかし間違いなく私とこの先生との間には濃密な時間が流れていた。
その茶事からしばらく経って、ご指導くださった先生の一周忌追善茶事のご案内が届いた。あの茶事から程なくして亡くなられたという。旅立たれる直前、「あの茶事は楽しかった」と話しておられたと別の方からも聞いた。
再び茶室で芝居の話ができることを心待ちにしていたが、やはりお茶というのは一期一会なのだと痛感した。
追善の茶事にはどうしても都合がつかず失礼してしまったが、そこからさらに数年経って、南座全体がミュージアムになる催し「猿之助歌舞伎の魅力展」に出掛けると、歌舞伎の大道具で茶席を作るという趣向があった。
歌舞伎と茶道の組み合わせ、しかも席主は件の先生のご子息であった。なんという巡り合わせ、不思議なご縁である。
そこで使われていた茶碗は歌舞伎の定式幕を全面に描いたもので、この茶席のために作られたものだという。
「お気に召したらお譲りできます」との甘いささやきに、ついつい購入してしまった。それが冒頭の写真。
知識と感性のぶつかり合いを楽しむ
若いうちは、飲んで騒いでというのが遊びであり、最高に楽しい時間であった。
しかしある程度年を重ねてくると、体力的にキツくなってくる。朝までなんて到底騒げない。というか、飲んで騒いで朝焼けを見ると、何も残らない虚しさすら覚えてしまう。胸焼けは残る。
今はそんな遊びは卒業して、知識と感性のぶつかり合いを楽しむという遊びが面白くなってきている。
私のような若造が持っている知識なんて大したことないのだが、そのレベルに合わせて存分に楽しませてくださったのは、あの先生であり、茶事だった。これこそ「オトナの遊び」だと思った。
オトナの世界で遊ぶには知識が必要だ。だからと言って頭でっかちになっていても十分に楽しむことができない。
膨大な知識と経験の中から、瞬時にその場の最適解を絶妙なタイミングでポンと出すことで、俄然その場が面白くなっていく。これは茶席に限らず、どの場面においても言えることだろう。
折に触れ定式幕の茶碗でお茶を点てていると、あの茶事が思い出される。と同時に、今の私はそんなオトナになれているだろうかと逡巡している。