ノリタケの森ギャラリーでの展示が決まったのが、2019年6月。その10ヶ月後の惨状を、誰が予見できただろう。
この展覧会の搬入日に、志村けん氏の訃報。志村は(親しみを込め敢えてこうお呼びする)我々の世代には大スターだ。全員集合も、ドリフ大爆笑も、だいじょぶだぁも、バカ殿もみんな見てきた。
「志村うしろー!」であり、「いっちょめ いっちょめ わぁお!」であり、「だぁ〜いじょぉ〜ぶだぁ〜 ウェ ウォ ウェァ!」であり、「そこまで言う 早見優 北天祐 醤油 ラー油 アイラブユー …仲直りっ!」であり、「アイーン」「なんだツィミは」「ウンジャラゲ」「どーでもいいわよねぇ」「だっふんだ」…もう数限りなく、次から次へと止めどなく出てくる。
「志村が死んだ」
展示会搬入日、大量の資材をレンタカーから降ろし、その車を会場近くの営業所に返却した。手続きのために事務所へ行き、返却確認のサインをしようとしたその時、横にいたスーツ姿のサラリーマン叫んだ。
「志村が死んだ!!」
その瞬間、私は手が震えてしまいサインができなかった。大袈裟ではなく。
それだけ私の世代には、少なくとも私には、志村けんとは大きな存在だったのだ。何かが終わった気がした。何か大きなものを喪った。私の幼少期から流れていた「何か」が、その瞬間、分断された。
何なんだ。こんなにも呆気なく人は逝ってしまうのか。時代は唐突に変わっていくのか。暗く重苦しい気持ちを足枷のように感じながら、会場に向かって歩く。言いようのない喪失感。例えようのない絶望感。過去の私と強引に決別させられてしまった焦燥感。孤独感。
花をいけようという気にもならない。どうしよう。どんなメンタルで花と向き合えばいいというのだ。会場までのほんの数百メートルが、ひどく遠く感じられた。
お弟子に救われる
暗澹たる気持ちを引きずったまま二人展会場に戻ると、大勢のスタッフが事前準備を進めてくれていた。今回はじめて現場総指揮を執る、今年二十歳を迎える弟子Tが、テキパキと指示を出していた。入門して6年、その成長が眩しかった。
そうか。私は私のことをやらなければならないのだ。当たり前のことなのに、何でそこに気がつかなかったんだろう。
花を手に取る。なぜか急に闘争心が湧いてきた。何に対してだか、誰に対してだか分からないが、負けるもんかと力が湧いてきた気がした。花をいけながら、制作スタッフに指示を出すのは大変な作業だ。Tは方々に指示を出しながら、資材の組立てや、いけ込みを進めている。今回、彼にはフィジカルでもメンタルでも助けてもらった。
重い時間
志村けんの訃報は、全国にピリリとした空気をもたらしたようだ。展示期間が始まっても、来場者はほとんどいない。誰も来ない会場で、酒井先生は毎日朝から夕方まで待機を強いられる。私も昼過ぎから合流し、ひたすら重い時間を過ごしていた。
知り合いが来てくれても、近距離で話すことはできない。これもなかなかもどかしい。本来なら来てくださった方とお茶を飲んだり、ランチをしたり、なんなら飲みに出たりもしたかった。
実を言えば、この展示会が決まって以来、会場近辺の店をチェックしていたのだ。唐揚げ、串カツ、焼鳥、バー、フレンチ、カフェ…メンテナンスで毎日会場へ行くのだから、そのうちの何日かは電車で行って、帰りに一杯ひっかけて帰ろう。週末はホテルに泊まっちゃう?撤収後はスタッフと盛大に打ち上げをやろう!
全部、夢のまた夢となった。目玉企画だったワークショップも、ギリギリまで会場側と我々とで協議を重ねたが、展示初日に中止を決めた。残ったのは、ただひたすら重い時間だけだった。
攻めていこう
「3密を避ける」という意味では、会場側も換気に気をつけてくれていたし、それぞれ物理的な距離もとっていた。密集に至っては、そもそもお客さまが来ない。我々も不要不急の外出を避ける意味で「無理に来なくていいですから」とアナウンスしていた。
しかしただ手をこまねいて、時間が過ぎるのを待つだけでは、先に進めないではないか。期間も後半に差し掛かった頃、ようやく気持ちが前を向きはじめた私は、普段なら絶対にやらない会期中の作品公開、さらには会場からネット配信をしようと酒井先生に持ちかけた。こんな面白い展示があるんですよ!白磁ってどんな花にもよく合うんですよ!そんな魅力をバンバン出しましょう!攻めの姿勢でいきましょう!
ノリのいい酒井先生はすぐさま賛同してくださり、土曜と日曜の2日間、インスタライブ、Facebookライブで、合計3回の配信を行った。3回目の配信ともなると、それはそれは流暢に、作品の見どころや白磁作品の解説ができるようになっていた。それはまるで生放送の通販番組のようだった。これを発展させれば、面白いコンテンツになるんじゃないだろうかと新たな発見ともなった。
非常時となった時、真っ先に切られるのは文化であり芸術だ。しかし、重くなった空気を変えるきっかけになるのも文化、芸術だ。私はそう信じている。この非常時に何ができるのか、社会に対して要求ばかりするのではなく、自分の分野で貢献できることはなんなのか。今一度よく考えたい。