チームラボ プラネッツ TOKYO DMM.com(後編)


視覚、触覚、聴覚、そして嗅覚も刺激する「チームラボ プラネッツ TOKYO DMM.com」
空間に身を委ねていると、だんだん自分の内面に意識が向いていきます。



 「人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング / Drawing on the Water Surface Created by the Dance of Koi and People – Infinity」


膝まである白濁した水に映し出される様々な光は、よく見ると鯉と桜の花びらになっています。

鯉は鑑賞者である私たちにぶつかると桜の花に変わり、そしてそれは徐々に散っていきます。




日本人にとって桜とはアイデンティティでもあります。
儚さの象徴であったりもします。

鯉が人にぶつかり、花になる。
そしてその花もいつか散る。

美しさの中に秘められた無常観は、いつも私の胸を締め付けます。

私が常々思っている無常観を、私自身が作品に入り込むインスタレーションの形により、感覚は確信に変わり、わけもなく泣きそうになります。






感情の振り子をブンブンと揺さぶられながら、最後の作品へと進んでいきます。

「Floating in the Falling Universe of Flowers」


様々な花が空間を漂い、散っていく様を、ドーム状の天井に映し出しています。

私が花を生業にしているからでしょうか。
おびただしい数の花々が散る様子は、死を連想させます。

よく臨死体験をした方は
「綺麗なお花畑があって」などとおっしゃいますが、私の場合は、このような花が散る世界を見るかもしれない…と考えが巡ります。


花の命をいただきながら自らの作品にする華道家の、というか私の心の奥底に流れている『業の深さ』のようなものを、改めて思い知らされたような気がしました。


「こうして俺は死んでいくんだよ」
会場を後にして、お弟子さんと感想を言い合っていたところ「どうしてそう暗い感情になってしまうんですか?」と呆れられてしまいましたが、「美しさの裏には哀しみを秘めているものなのだよ」と言っても、高校生にはちょっと分かりにくかったかもしれません。