遥か昔のことだが、私の文章は、さくらももこの書くそれに似ていると言われたことがある。
確かに彼女の初エッセイ【もものかんづめ】からほぼすべてを読み続けているわけで、これで影響を受けないはずもない。
【もものかんづめ】を読んだときは、ページをめくるごとに大爆笑し、「メルヘン翁」に至っては笑いすぎて息を吸うことができず、危うく窒息しそうになった。
こんな(ある意味アクの強い)文章を、感受性の強い中学2年生で読んだのだから、私の人生はここが分岐点だったのだろう。純文学をこよなく愛する中学生だったのなら、もう少し違う人生になっていたかもしれない。
ただ、私が20代前半で大腸検査を受けることになった時、これまた【もものかんづめ】の「サルになった日」が脳内でリフレインし、大腸検査とはそういうものなのだと自分を納得させていた。純文学ではこうもいかない。大腸検査について詳述した小説はないだろう(知らんけど)
さくらめろん?
さて先日「さくらももこ展」に行ってきた。膨大な量の生原稿やイラストが展示されている。アニメは見ても、さすがにりぼんを買ってまで読むことはなかったが、エッセイや雑誌【富士山】を愛読していた私としては、見逃すわけにはいかなかった。
会場に入って、主催者のあいさつよりも大きい「さくらももこ展 ごあいさつ」を読んで驚いた。え?母?まさか さくらめろんくんか?あのエッセイに出てきた子?なんとまぁご立派になられて……
勝手に親戚か近所のおじさんみたいな感想を抱くのも、彼がお腹の中にいた時から母のエッセイで知ったつもりになっているからである。しかしながら、こうも一方的に感激された上に、ブログにまで書かれては、ご子息ご本人からしたらあまり気分のいいものではないだろう。
脳内再生
展示物の多くは生原稿で、登場するキャラクターのセリフは、どうやってもアニメの声で脳内再生される。それはまるちゃんだけでなく、さくら家、クラスのキャラクターも全部。おそらく、見た人みんな同じ現象が起こっていたに違いない。
美術館の中だから、当然静かに見なければならない。はじめのうちこそ必死に笑いをかみ殺していたのだが、ニヤニヤが止まらない。おそらく周囲の方もそうだったと思う。
生原稿は一話まるまる展示されているのではなく、ハイライトな部分が2ページほど展示されている。それが次々とこれでもかと続くものだから、「笑いたいのに笑えない」変な空気が漂っていた。
展示中盤の、藤木と永沢が眉をそり落としたコマで、私はついに我慢できず噴き出した。運が悪いことにこの日の私は鼻炎がひどく、盛大に鼻水を噴射してしまった。マスクをしていてよかった。いや本当に尾篭な話で申し訳ない。鼻漏だけに。
仕上がり
展示物の中にいかにも90年代なラジカセがあって、さくらももこのオールナイトニッポンの一部が流れていた。あったあった。よく聴いてたなぁ。あの頃、月曜はさくらももこ、木曜は古田新太、土曜は松任谷由実のオールナイトニッポンが最高だった。
そしてその放送が1991年だったということは、これまた私は中学2年で聴いていたことになる。やっぱり1991年から92年にかけての、私が13歳、14歳の頃ってのちの人生に大きく影響を及ぼすのだろう。ただし仕上がった結果がこうである。
それにしても放送期間がたった1年だったとは。もっとやっていた気がしていたが。30年以上経った今の自分からしたら、1年なんてあっという間なのに。
アトリエより
展示の最後は「アトリエより」と題され、実際に使われていた画材も展示されていた。
ふと「あぁ、さくらももこはもういないんだ」と、とても空虚な感情に見舞われた。もちろん生前の彼女とは面識すらない。アニメやエッセイの中でしか知らないのに。けれど大量に遺された原稿ひとつひとつに、まだ彼女は存在している。
私はこうした展示会を見るたびに、ちょっと羨ましくなる。形として残る作家っていいなと。
生の素材を扱ういけばなは、写真や映像くらいでしか残すことはできない。けれど立体造形物であるいけばなのすべてが残るわけではない。
私はよく「残らないから、いけばなっていいんだよ。生きてるものを美しく活かしきることがいけばなの本質だよ」と言う。もちろん本心であるが、ちょっとだけ強がりも含んでいる。展示が終わり、作品を壊すときの寂しさったらない。
さくらももこという稀有な才能を持った、へんてこりんな漫画家に影響されたトンチキ華道家は、今日もまたこうして脱力ブログを綴って彼女を偲んでいる。