伸びしろ

私は「伸びしろ」という言葉が好きだ。

2020年に発売された「深海の街」のメイキングで、松任谷正隆さんがユーミンのことを「伸びしろあるじゃないですか」と評していた。

伸びしろに期待

能力や才能にまだ成長する余地があることを「伸びしろ」という。

私がまだ教室も開いていない、ようやくちょっとだけ花の仕事をいただけるようになった頃の話。いけばなライブの感想で「あんな未熟なものを見せられて」とかなり厳しい感想の中、旧知の方から「伸びしろがあるステージでした。今後も期待しています」と書かれたメールを頂戴した。

疲れとステージが終わった解放感とでグルグルになっている中、そのメールは涙が出るほど嬉しかった。確かにステージ自体、なんじゃこりゃ?未熟にも程があろうに…な出来で……それは自分でも分かっていた。

要はものの言い方なのだ。「伸びしろに期待」と書かれた感想メール、それは今の私の礎になっていると言っても過言ではない。

件のライブから何年も経って、「伸びしろ」と仰った方に、あの時いただいた言葉を大切にしていますとお伝えしたら、そんな不遜な感想を言ったのかとご自身で驚かれていた。

何をおっしゃるウサギさんである。

以前のブログで「誰の目に触れることがなくても花をいけ続けよう」と書いた。しかし表現者とは、自身で作り出したもの、表現したものを第三者に見ていただくことでさらに成長する。

もっと別の表現方法

あれから何度もいけばなライブ、デモンストレーションに出演し、作品ができあがる過程をお見せする機会をもった。作品やステージ構成を考えるとき、いつもあの感想を思い出す。それだけあのライブが私にとってのエポックになっている。

まだ何か面白い見せ方があるのではないか、もっと別の表現方法はないか、どうしたら最後までダレずに完成できるか。それはライブだけではなく、作品を創り出すとき、いつも脳の半分くらいはそこを意識する。

こんな感じの作品にしようかなーと考えながら、いやそれ毎回同じ傾向じゃないか?いやいや、これ古典的な表現にしようと思えばこの方向だしねぇ……と脳内会議が紛糾する。最後は意地悪な脳内一翠が「で?これで成長してるの言えるのかね?」と問いかける。

そこで挫けてしまうと、結果的につまらない作品になってしまう。私は「置きに行った」と言っている。挫けず別の表現や花材の組み合わせを模索して作品にしてみると、案外面白いものになったりもする。もちろん「ありゃー」な出来になってしまうこともあるが。

「こりゃぁいいぞぅ!」と手ごたえを感じた作品でも、過去のものと見比べると、なぜか雰囲気が似ていることがあるが、ここまでくると作家のカラーという外ない。

延々と続く鬼ごっこ

ある程度経験を重ねると、作品づくりに対して方法論のようなものができあがってくる。セオリー通り、一から十までそこに乗っかれば、作品としては完成するかもしれないが、伸びしろという部分ではどうだろうか。

方法論も技術も必要だが、もう一歩そこから踏み出すことができれば、そこが伸びしろなのだと思う。そして踏み出した分だけ伸びしろは増える。ゴールのない、延々と続く鬼ごっこのようだ。

花でもお茶でも、なんでもそうだが「一生勉強」と言われる。そんなふうに言われるとゾッとするが、それが伸びしろだと言われれば、さらに前に進む力になると思うのは私だけだろうか。やっぱり結局はものの言い方なのだが。私も伸びしろを求めて前進していこうと、決意を新たにしている。

だって先日のSUR&SNOW in Naeba Vol.45でも、2020年の紅白歌合戦でも「伸びしろを求めて諦めずに進みたいと思います」と言っていたではないか。