苗場よもやま噺

 
長々続いた苗場の話も、本日で一旦おしまい。今日はどうでもいい話。

 
感動的なライブのあとは、すぐに寝るのが惜しい。
これは苗場に限った話ではなく、舞台やコンサートを観た直後に、青白い蛍光灯に照らされた電車に乗ると、一気に現実に引き戻されてしまうからだ。
ショーを観たあとは夜景の見える素敵なバーで、気取ってワインを傾けたい。

その点、苗場はいい。ライブ後のお楽しみはカクテルラウンジに行くもよし、部屋で仲間たちと乾杯するもよし。
SURF & SNOW in Naeba 40th ANNIVERSARY 最終公演のあと、我々はホテルの一室に集まって乾杯をした。

深夜0時の乾杯

 
明日の昼にはここを発って、またそれぞれ日常に戻っていく。
名残を惜しむように飲み会は続いた。

 

頓珍漢な人

 
それでも何かをやり残している気がする我々は、またまたライブ会場前に移動した。
スマートフォンのカメラフォルダには、料理とふざけた写真しかないのに、この期に及んでまだバカな写真を撮ろうとしているのだ。
何も私が率先して突っ走っているわけではない。

ちゃんと着替えてる…


私は花いけライブ用の衣装をいくつか持っていて、それらは日常で着るにはあまりにも突飛なものが多い。
その中でもなかなか着る機会がない、全体に細い糸が縫い付けられた「義経千本桜 四の切」の狐忠信のようなシャツを、なんだか面白そうだという理由だけで苗場に持ってきていた。
せっかく持ってきたのに、陽の目を見ないまま持って帰るのはあまりにも惜しい。

もう誰もいないだろうと高を括っていたのだが、1階に下りてみれば、まだぼちぼち人がいるではないか。
深夜2時にこんな格好をした人間がふらふらと歩いているのだから、見かけた人がギョッとするのは当たり前だ。
そんな人間をセンターに、全員ノリノリで写真を撮っているのだから、私の友人は変な人たちだ。
私だったら、こんな頓珍漢な格好をした人間と一緒に写りたくない。

 

エーデルワイスのパンケーキ


深夜まで飲み食いしても、翌朝10時には、ロビーラウンジ「エーデルワイス」でパンケーキを食べている我々の胃袋は、どれだけ頑丈にできているのだろうか。

ついでにビールまで飲んでいる始末である。
私は基本的に午前中にビールは飲まない。
陽のあるうちと言っても、正午を過ぎてからでないと、いくらなんでもお天道様に申し訳がない。


これが苗場となれば話は別で、朝からずっと飲んでいるのだ。
そもそもパンケーキにビールが合わない気もするが、これも苗場の醍醐味だと、3日間もこのメンバーと一緒にいると、何でも「醍醐味」で片付ける雑な性格になってしまうようだ。

 

和風ダイニング 四方山

 
さて、苗場に行くと必ず寄る店があった。
苗場プリンスホテルからほど近い「ちゃんこ谷川」
最終公演を観た翌日はここで昼食をいただいて帰るのが毎年の恒例だった。
ここのスタッフの女性は我々を「愉快な仲間」と覚えていてくださっていて、「今年も待ってたよ」と温かく迎えてくれていた。
ここでいただくノドグロの刺身が美味しくて、じんわりと余韻に浸れる至福の時間だった。

しかし残念ながらそのお店はもうない。
新たに「四方山」という和風ダイニングになったと聞き、今年は夜に伺った。
店そのものは変わっていない気もするが、やはりあの女性スタッフがいないのはなんとなく淋しい。

 
ここでいただいた「新潟県産オーガニック野菜と地物山筍の味噌マヨネーズ」は、根菜の甘み、土の風味がちゃんとして、ポリポリといくらでもいけてしまう。
妻有ビールという、クラフトビールもあり、じっくり腰を据えて飲むにはいい店だ。

 

下山

 
今年の苗場も下山する時間が近くなってきた。
名残惜しい気もするが、このままここに止まっていたら本当のダメ人間になってしまう。
実を言うと、空いた時間に仕事をするつもりで、仕事道具一式も持ってきていたのだが、結局手をつけないままだった。
思い返せば行きの新幹線から飲みっぱなしなのだから、これで仕事ができると思う方が間違いである。

 
前夜まであった看板もすっかり取り払われ、祝祭感は薄れている。
一抹の寂しさを抱えながらも、満ち足りた気持ちで友人のクルマに乗り込む。

また来年もこの場所に来られるだろうか。
いや、来られるような自分でいよう、と思い直す。
毎年そうやってきたなと考えながら、ホテルをあとにした。

また来年!

 

むらんごっつお

 
越後湯沢駅の目の前に「HATAGO 井仙」という旅館がある。
ここの2階のレストラン「むらんごっつお」で昼食にした。


天然鰤といぶりがっこのたたき風サラダは、いぶりがっこの風味が程よく効いて、うっすらと振られた岩塩がその旨味をさらに引き出す逸品だった。

また、ごはんは南魚沼塩沢地区のコシヒカリを竈で炊いている。
この炊きたてがお櫃に入れて供される。
あまりの美味しさにおかわりを所望したほどだ。
もちろんここでも新潟の銘酒をいただき、最後まで美食と美酒に酔いしれた。

 

ひとり、またひとり

 
お祭りの後はいつも切なさが付き纏う。
散々騒いだ仲間たちも、ひとり、またひとりと帰っていく。
気の良い運転手は越後湯沢の駅まで送ってくれたあと、東京に戻っていった。
新潟のお義母さんは私と反対方向の新潟行きの新幹線に乗り込み、ホームで見送る私を撮っていた。

ターゲットを逃した暗殺者のようでもある


あとに残ったトワレさんと私も、それぞれこだま、のぞみと乗る列車が違うために東京駅でお別れ。

友人と別れるたびに、徐々に日常が戻ってきた。

 

おまけ


夕食は東京駅で高崎名物だるま弁当と、峠の釜めし、群馬の二大駅弁を買い、帰宅して家人といただきながら、来年スケジュールが空けられるのであれば高崎にも立ち寄ろうか、それとも東京にいる私の弟子の様子を見に寄ろうかと、すでに次の楽しいことを考え始めていた。

横で家人がうずらの卵を食べていた。
私が楽しみに取っておいたうずら卵だったのに。