トンチキな一年

一応、公式サイトに内包されている公式ブログだから、こんな話を書いていいのかという逡巡はあるが、でもそんな人間だしねと言い訳をしつつ。

一昨年秋に叔母を見送って以来、もうロクでもない一年であったことは先日のブログでも書いた。

ご先祖様に見守られているのなら、私はすでに血族にすら見放されているのではないかとすら思うほどの散々っぷりである。

そんな散々な一年を振り返り、スマホのカメラロールや自らのSNSアカウントを見返すと

「これはどうなのよ?」

な一年ではなかったかと思えて仕方がない。

特に私自身のトンチキっぷりが際立っている。
なにがどうって、華道家だと名乗っているのにもかかわらず

やれ南座で見得をしただの

腰つきだけは艶めかしい

古典芸能の衣裳屋さんでお姫様になっただの

いがみの権太のつもり

挙句の果てには歌舞伎座ギャラリーで狐忠信だの権太だのと浮かれ散らかしているのを、あちこちのSNSにバリバリ載せた一年だったのだ。

いけばなとはかすりもしない、究極に趣味全開の投稿である。いいのかこれで。そもそも喪中ではないか。さらに言えば私は喪主である。本当にいいのかこれで。

華道とは己の精神を磨き、それを花に託して作品にする。その視点からして、和の精神を存分に発揮するという意味では、裾引きの振袖を纏ったり、南座花道の飛び六方だって、和の精神の神髄みたいなものである(そういうことにしておこう)

とん‐ちき

  1. 〘 名詞 〙
  2.  ぼんやりしていて、気のきかないこと。また、その人。のろま。とんま。まぬけ。
    1. [初出の実例]「お中さん、揃たとんちきだねえ」(出典:洒落本・辰巳之園(1770))
  3.  軽はずみな人。あわて者。文政・天保(一八一八‐四四)の頃に上方で流行したことば。
    1. [初出の実例]「あわてもの、とんちき」(出典:当世花詞粋仙人(1832))

とんちきの補助注記

「とんちき」の「とん」は「とんま」の「とん」で、「ちき」は「いんちき」の「ちき」などと同じ接尾辞と考えられる。

私は自己紹介する折に「インチキ華道家です」と(半分)卑下しながら名乗ることがあるが(もう半分は本当)、まさかトンチキとインチキが同じ接尾辞だとは。こうなりゃトンチキでインチキでチッチキチーである(破れかぶれ)

チッチキチーがお分かりにならない方はこちらから

おそらくはマイナスな出来事の揺り戻しで突飛な行動に出てしまっているのだろうが、それにしたってひどい有様である。

インプットとアウトプット

作品制作をするとき、どんなプロセスを経ていくのかはその時々にもよるが、どんな場合であっても過去の知識や経験をベースにしなければ作品にはできない。

つまりインプットがなければアウトプットができないわけで、例えば裾引きの振袖を纏っても、自分の視点から見てどう思ったかや、衣裳の締め付け具合の感覚などが頭のどこかに刻まれる。

いつかこれを引き出してきて、何かしらの作品に反映させることができるかもしれない。どんなにヘラヘラ遊んでいたとしても、その体験や記憶は作品を構成する要素になりえる。

そんな言い訳をしながら、次はどんな楽しいことがあるのかと考えてしまうのである。