厄年

ブログの最終更新が2025年9月とは、どれだけさぼったのか。いや、書くには書いて、アップしていないだけなのだが。しばらくは昨年書いたものを。

令和7年の男性厄年は、昭和40年、昭和59年、平成13年の生まれが本厄になるらしい。

まずはこのポストをご覧いただきたい。

私は昭和52年生まれである。数え25はもちろんのこと、42の厄年も終わっているし、還暦にはまだ時間がある。

25の厄年も42の厄年も大過なく、まぁそんなもんかと思っていたのに、まさか数え49という非常に中途半端な歳で次から次へと、それも1週間のうちに立て続けに起こるなんて、これを厄年と言わずしてなんと言おう。ついでにしては申し訳ないが、昨年11月には叔母を亡くしている。つまり半年のうちにこれだけのことが起こった。

もう済んだ話なので言ってしまっていいが、私はずっとランドクルーザープラドに乗っていた。盗まれたプラドの前もプラド。トータル15年以上乗り続けた。

燃費こそあまりよくないが、とにかく荷物が乗る。花材や資材を乗せて全国あちこち走り回った。車高もあるから高速も快適に走れる。とても気に入っていた車種だけに悔しくって仕方ない。否。悔しいだけではなく、仕事に支障をきたしている。

もちろん車両保険にも入っていたが、保険金なんて知れている。先述のポストにもある通り、ボヤもあった。これも保険が絡んでくる。私の周囲の方は保険金詐欺を疑った方もいたかもしれない。

実は叔母の看病をしている時から、私はメンタルの不調が目立つようになり、看病が終わったかと思ったら没後の手続き、そしてこの一連の出来事、過労とストレスでついに起き上がれなくなってしまった。

現在はすっかり良くなり(というか、この病気はずっと気長に付き合っていくものらしいので、いかに健やかな状態でいられるかを自らコントロールしている状態だが)ご心配には及ばない。それが証拠に「東京だョ おっ母さん」をしたぐらいだから。

新聞沙汰

そんな大騒ぎをしている最中、私が代表を務める法人の話題が新聞に掲載された。これが結構な紙幅の記事で、おやおやと思っていたら、その1か月後に私の先祖に関する記事が掲載された。どちらも私の実名、さらにはご丁寧にも年齢まで書かれている。

その2日後には車両盗難で、さすがに実名は載っていなかったが「40代男性」の私の談話が掲載された。

約1か月で3回の新聞掲載である。こんなのお縄になった人間の続報みたいなペースである。ある人はこの新聞掲載ペースを「新聞社とズブズブの関係」と言ったが、間違っているような間違っていないような…。

まもなく怒涛の2025年も終わろうとしている。来年こそ楽しいことが続く年になるといいなと願いながら、今日も私は花をいける。