この数か月、ブログはおろか、InstagramもTwitterもFacebookも、ありとあらゆるSNSを自ら遮断していた。
友人には「何が起こった?」と心配をかけてしまった。
私自身もこんな状態になるなんてと、戸惑い続けた日々。
頭パッカーン
今年の春から夏にかけて多忙を極めていた私は、エナジードリンクを煽りながら、睡眠時間2時間、3時間の毎日を過ごしていた。そこに家人の病気が発覚。治療が始まってしばらくして、今度は私が過労で倒れた。
過労はフィジカルだけでなく、メンタルもゴリゴリに削っていて、いろいろと完全にキャパオーバーした私に下された診断は「頭パッカーン」である。
実はこの「頭パッカーン」、以前にも起こしており、23年ぶり2回目である。甲子園か。
いや、久々の甲子園出場ならこんなめでたいことはないし、練習にもより一層の力が入ろうというものである。私の場合は練習どころか、ひたすら休むことになってしまった。
そしてまた甲子園出場なら、やれ応援団だ、やれ寄付金だと大騒ぎになるが、これは私の周囲も大騒ぎになった。申し訳ない気持ちでいっぱいである。
何しろ私も花を触っていない日々がこんなに長く続いたことがない。毎年出品している花展も休んでしまった。
驚きの変化
ドクターストップがかかったこともあり、私は全ての仕事を休んだ。花教室も無期限の休講となった。
不足していた睡眠を取り戻すかのようにひたすら寝続け、気がつけば一日20時間以上寝ている始末。
つい先日出産した従妹ですら「うちの子以上に寝ている」と言ったほどだ。
そんな状態だから、何に対しても興味が沸かなくなり、ネットはおろかテレビすら見なくなった。ありとあらゆる情報を遮断していたから、興味を持つ糸口すらない状態だった。
あれほど全国あちこちの会場に出向いては「今日も由実さま最高だった」と気持ち悪いオタクっぷりを発揮していたにもかかわらず、曲のひとつも聴かなかった。私は本当にファンなんだろうかと思える変わりようである。
電話の向こう
パッカーンの蓋が閉じかけてきたころ、友人から電話があった。突然連絡を絶ってしまったから、心配になって電話をしたという。ただ、電話の向こうではいつものように酔っぱらっていた。しかし酔っぱらって勢いをつけないと電話ができなかったとも言っていた。
50周年の記念ベストアルバム「ユーミン万歳!」をどれだけ買うだとか、そこにはライブツアーの予約権が封入されているとか、日程がどうだとか、その酔っぱらいは一方的に話していた。
正直その時は来年のツアーなんてどうでもよかったし、そもそも明日のことを考えることすらできない自分に、この人は何を言っているのか。
その人は最後に「今度のツアー、土日しかないんだよ!日程が出てるから見てごらん!」そう言って電話を切った。
納得
数日経って、私はようやくユーミンの公式サイトを見た。本当に土日しか開催しないようだ。必然的に他の情報も目に入ってくる。雑誌掲載がどうとか、ラジオがどうとか、テレビが……
テレビなら録画しておいて後から見ればいいかと、レコーダーを見て驚いた。残量がゼロなのだ。毎週録画予約をした番組で容量が埋まっていた。それも5月で終わっている。大河ドラマなんて、何がどうなっているのか皆目見当がつかない。
思い返せば、無理な働き方をしはじめたのは、奈留島から帰ってきた直後、3月上旬からだった。そんな生活を続けていたのだからそりゃ倒れるはずだ。納得のドクターストップである。
あれほど毎週楽しみにしていた大河ドラマも、高橋英樹氏がやたら濃い顔で司会進行する古典芸能の番組も、何もかも面倒になって一気に消した。
ユーミン万歳!
レコーダーの容量を確保しながら、先日終了した「深海の街ツアー」の放送を見る。
名古屋・東京・福岡など、一緒に見た友人やその前後の出来事が、一気に思い起こされる。あまりにも超絶怒涛の日々だった気がする。
同時に、なんでこんなに辛いんだっけ?とも思った。これは不思議な感覚だった。
これが「心が軽くなる」というやつだろうか。だとしたら、気持ちの特効薬になるなんて、この人は真に凄いのかもしれない。これぞ「ユーミン万歳!」である(この結論にしたかったわけではない)
相変わらず気持ちの浮き沈みは多少あるが、本当にひどい時期は抜け出している。薬の効果によるところが大きいのだろうが、日々支えてくれた大切な人、心配して連絡をくれた酔っ払い、ユーミンの楽曲、パフォーマンスなどなど、決して薬だけでは得られなかった要素も大いにある(気がする)
現在、徐々にではあるが仕事復帰をしている。10月後半からは花教室も再開になる。もう何か月も休んでしまったから、お弟子さんは戻ってこないだろうと諦めていたが、誰一人辞めることなく、全員が連絡をくれた。本当にありがたい限りである。
さて、次はどんな作品にしようか、そんな少し先のことも考えられるようになってきた。
私も華道歴50年を迎えたら「いっすい万歳!」くらい言えるだろうか。
それはかなり先の話だから、やっぱりまだ考えるのはやめておこう。