今回の花いけは、実にさまざまな方が関わっている。
花材の仕入れ・水揚げ・発送、資材準備や梱包は、お弟子が担当してくれたし、花器は信楽の友人(この方もユーミンファン)が紹介してくれた陶芸作家さんが制作した大壺。
奈留島では、葛島さんご一家が花いけのために奔走してくださった。
ひとつの作品のために、これだけの方が動いてくださったのだから、何としてもいい作品に仕上げなければならない。めったに緊張しない私も、さすがにドキドキしてくる。
もうひとつのドキドキは、何度乗っても慣れない飛行機。
手に脂汗をかきながら着いた福岡空港では「五島福江空港は強風のため、福岡空港に引き返す可能性が…」とアナウンスしていた。一瞬いやな予感がしたが、ま、我々は夜に出港する「フェリー太古」だし大丈夫だろう。
時のゆりかご
21時。フェリーターミナルに移動する。
博多ポートタワーも美しく、トレンディドラマみたい…と、絶妙に古臭い思考をしていた。
さて今回の旅は【乗りたいものに乗る】のもテーマのひとつ。
フェリーの船室もスイートを予約した。専用デッキはあるしシャワーも付いている。
一杯ひっかけてぐっすり寝れば、明日の朝には憧れの奈留島だ。
いきなり贅沢な移動でテンションMAXな私は、乗船口に敷いてあるマットに書かれたロゴマーク “ 時のゆりかご ” を見て「ゆりかご並みに揺れたらたまらんよなー!わーっはっはっは!」と豪快に笑ったのだが、これが後々心底後悔するハメになる。
玄界灘の洗礼
スイートルームに入室した瞬間「わー広い!」「なんて贅沢!」と感動すると同時に「あれ?結構揺れてる?」と不安がよぎる。まだ出航もしていない博多埠頭で。湾内停泊でこれだけ揺れるって大丈夫かいな?
23時45分。定刻通り出航した船は、深夜の玄界灘を進む。
もうこれが揺れる揺れる。タテにもヨコにも。加えてクローゼットに掛けられたハンガーはその扉をゴンゴンと叩き、波が船に当たる衝撃音は絶え間なく鳴り続ける。ゆりかごどころの騒ぎではない。能天気に笑った自分に心底腹が立った。
それでも寝なければ明日のパフォーマンスに影響が出る。何せ奈留島に上陸した直後から準備に追われるのだから。
一瞬の隙を突き、今こそ寝られるか!?とベッドに潜り込む。薄れゆく意識の中で「玄界灘って演歌の世界だよなぁ…サブちゃんか?段田男か?村田英雄か…」と妙なことばかり頭に浮かびながらも眠りにつく。そして数十分して揺れと音で起こされる。これの繰り返し。
考えてみれば、このスイートルームは船首部分。時化てる時は揺れが一番激しいはずだ。
外の風にあたりたくて、揺れの治まった夜明け近いデッキに出てみると、満天の星空だった。この星空で今まで荒れていた海も許せる気がした。
部屋に戻ると、同行したスタッフはしっかり寝ていて、この人は一体どんな神経をしているのか。やっぱり許せん(八つ当たり)
そうこうしているうちに陽が昇ってきた。もう島々の間にいるようで、いつしかとても穏やかな海になっていた。
四海波静かにて 国も治まる時つ風
謡「高砂」は、こんな風景を詠んでいるのかなと、美しい朝焼けを見ながら寝不足の頭でボンヤリと思った。
奈留島、上陸。
午前7時過ぎ、奈留港が見えてきた。やはり風が強い。しかし天気は上々。あれほど揺さぶられたにも関わらず、船酔いもしていない。すこぶる体調もいい。ただ唯一、睡眠不足であることを除けば。
意気揚々と下船し、予約していたレンタカーを借り受けに行くと、開口一番「昨日は時化てましたからね、船は揺れませんでしたか?」と温かい言葉をかけてもらった。かなり揺れましたと答えると「玄界灘の洗礼を受けましたね」と笑われた。
借り受けたバンで、まずは民宿かどもちさんに向かう。
島内には観光スポットの案内がいくつも立っており、“ ユーミンの歌碑 ” の文字に「ここで花をいける日が来るなんて」とジーンとしてしまう。
私が奈留島の方と接点を持った一番初めが、三兄弟工房のご三男・葛島信広さん。
三兄弟のご長男・義信さんの奥様が、民宿かどもちを経営されている。あの大量の荷物も、この民宿に届いている。
まずはどうぞどうぞと、義信さん、信広さん、奥様と一緒にコーヒーをいただく。どなたも温かく、とてもフレンドリー。もうこれだけで幸せな気分になった。
ただいつまでものんびりとコーヒータイムというわけにはいかない。先に送った大量の荷物を積み込み、奈留高校へ向かった。
全部が今ここに
今回の作品制作にあたり、1978年放送「新日本紀行〜歌が生まれてそして」や、1988年放送「九州特集」、2015年放送「SONGS」など、過去にNHKで放送された番組、個人で奈留島に行かれた方が投稿したYouTube動画などを、さも自分が行ったかのような感覚になるまで繰り返し観た。
そして【島を出ていく人】【島に残る人】【島を思い出す人】さまざまな立場の人の感情に自分の意識を持っていき、最終的に「瞳を閉じて」に沿うような作品になるようにした。
普段の作品制作とは違い、花材も資材も人手も、そして時間の制約もかなりある。その制約の中で最大限できることを考えた。
島のメインストリートから少し入って、とても急な坂を登った先に奈留高校がある。初めて訪問する場所なのに、なぜか初めてではないような、不思議な感覚になった。そりゃそうだ。あれだけいろんな資料を観たのだから。
校門をくぐった左手に歌碑がある。
いざ歌碑を目の前にすると、今度は長く走ったマラソンのゴールに行き着いたような感情になった。
いやいや、ゴールなんかではない。今からここに花をいけるのだ。ただ、出発の時に感じていた緊張は全くなく、ご縁が繋がってここにいること、それはどれもが奇跡的な出会いによってもたらされたこと、その全部が今ここに収斂していると思ったら、私は穏やかな気持ちでいっぱいになっていた。