巡る、ながるゝ 全作品掲載 2

基本コンセプトは変わらないが、当初の案からガラリと変わった作品に仕上がる面白さが二人展の醍醐味かもしれない。

 

本展開催が決まった当初の基本コンセプトの一つに「夜桜エリア」なるものがあり、夜の花見をモチーフに作品を考えていた。

 

そこから暗闇というエッセンスだけを残し「戒壇巡り」という案に。しかしこれでは会場内がほぼ真っ暗になってしまい、足元が危ないのではないかとなり、「この世の者ではない」のイメージを足して、さらに「桜」が復活、こうして「積恋雪関扉」のイメージが出来上がった。

 

ここまで見ても案が発展しているというより、迷走といった方がいいだろう。

 

結局この「積恋雪関扉」も、花材より資材が大量に必要であったり、運搬も設営も、限られた時間内では難しい、そもそもこの時期だと桜が枯れるのではないか、 と様々なマイナス要素が重なって、花材で桜を使う案もろともお蔵入りになってしまった。

 

そんな紆余曲折を経て、出来上がった作品。

 

 

妖の茶会

結局、桜が復活したのだが、現世の人間から妖(あやかし=妖怪)に、酒宴は茶会に姿を変えた。

 

桜が残ったと偉そうに書いてはいるが、実は偶然。本来、あそこは別の植物が入る予定だったのが、やはりここは桜がいい!とその場で花材変更した。

 

展示期間中に枯れることはないだろうと、自分自身の勘に賭けることにした。

 

メインビジュアルにも使われた金棒花入は、掛花として視線の高さまで持っていく。茶会の設えなのだが、通常は使わないグロリオサを大量に使い、色味のインパクトを出した。

 

 

ジキメン

酒井先生のシリーズ作品に「ジキメン」というものがある。磁器のお面。確か、磁器を制作しているメンズ…ジキメンという意味も含まれていたような気もするが、間違っていたら申し訳ない。

何かおどろおどろしい、薄気味の悪い感じを出すために、苔ウメを組み、チランジアを絡ませた。

 

この苔ウメ、昨年末に買ったおいたもので、一度別のイベントでも使っているのだが、枝ぶりがとても良いので、取っておいたもの。何でも取っておくものである。

 

茶道具

「茶会」が本決まりになったのは、開催2週間ほど前だっただろうか。酒井先生との打合せには、この展覧会で初のいけ込み(作品の現場制作)総指揮を任せることにした、今年二十歳になる弟子を同席させた。

 

目の前でどんどん決まっていく様子に、はじめは必死に喰らい付いてきていたが、茶道具の話になった時には、ほぼお手上げ状態だったようだ。

 

実際にお茶の稽古をしている人でも、自分自身が釜を掛ける(茶事、茶会を催す)ことになると、改めて準備する道具の多さに驚くだろう。釜・水指・茶碗・棗などの点前道具に加え、例えば風炉には底瓦だの前瓦だの五徳だのと付属するものも多い。展示だけとはいうものの、落ちがあってはならない。

 

次から次へと繰り出される専門用語に「なるほど、わからん」な顔になっていた弟子は、打ち合わせ後に「先生が花以外の勉強もしろと言っていた意味が分かりました」とぽつりと言った。続けて「言えば何でも出てくるんですね」とも言った。

 

確かに「建水はありますか? ここに結界が必要ですよね?」という話で、酒井先生は「はい、あります」と、いとも簡単に仰るのだ。

 

対抗するわけではないが、本展で多かったご質問に「この金屏風はどこかで借りたの?」があり、内心「聞くところは屏風かいっ!」とツッコミばかりしていた…というはなしはどうでもよくて。

 

その質問の答えは「私物です」

 

確かに金屏風を所持しているというのはなかなかないだろう。しかし永いこと作品制作をやっていると、こういう物品は増えていくのだ。

 

先述の苔ウメでもそうなのだが、作品の展示期間が終わったからといって、はいサヨナラと捨てられない。「またどこかで使うかも」などとケチな心がムクムク湧いて出て、結局ガラクタだらけの倉庫になってしまう。

 

今回の展示会には、桐の板を大量に購入したが、これもまた「いつか使う」という理由で保管されている。その「いつか」が早く来ればいいのだが、それは私にも分からない。