私の茶道と華道の師匠が、満99歳(数え100歳)を迎えられた。そして今なお現役なのだから驚きである。
私が入門したのが高校2年の時。もう四半世紀をとうに過ぎているが、先生は今年で師籍70年。何度も言うが現役でお稽古を続けられている。
99歳となると、言い方が悪いがヨボヨボなのではないかと思われるかもしれないが、これが全く違って、シャキシャキとされているし、声にも張りがある。杖なしでスタスタ歩かれる。
92歳の時には胃を全摘する大手術を受けられたが、全く元通りにお稽古を再開されたのだから、あの時の手術はサイボーグ化の手術ではなかっただろうかと訝しんでいる。
お祝い会
さて、その師匠の満99歳、数え100歳のお祝い会が開かれた。ここは満の99歳「白寿」でいくのか、それとも数え100歳「百寿」なのか、それすらよく分からないが、「どっちだっていい」とは先生ご本人の談である。そりゃそうだ。ここまできたら1つくらいは軽微な誤差な気がする。
お稽古を70年も続けていると、お弟子の数も膨大で、OBだけでも数百人、なんなら私の叔母のように、師匠よりも先に鬼籍に入られた方もいる。
ただ、いくらお元気でも99歳。OBも大集合なお祝い会となると、先生のご負担も大きいだろうと、今回は現役生に限ってのお祝い会となった。
それでも数十人が集う盛大な会だった。
彩り豊かな人生
会の途中、ご挨拶しろとご指名をいただいたので、私は次のようなお祝いを申し上げた。
先生と私共の家とのお付き合いは、もう80年以上となります。
戦争中、私の祖母が勤めておりました会社の隣の席が先生で、その後、先生はお稽古場を披かれ、私の祖母は奥谷の家に嫁ぎ4人の娘が生まれました。
その四姉妹全員が先生にお稽古をつけていただき、さらに私も通わせていただくようになりました。
もし祖母と先生が出会わなかったら、それでもどこか別の先生のところに通ったかもしれませんが、仮にそうだったとしたら、きっとつまらない人生になっていたと思います。
ここまで続けることはおろか、花の教室だってやっていなかったでしょう。
私の人生が、母や叔母たちの人生が彩り豊かになったこと、私共だけでなく、私のお弟子たちまでも豊かな人生にしていただいたことを、心から感謝申し上げます。
縁とは不思議なもので、先生と祖母が出会わなければ、私も花の世界には進んでいないわけで、さらには私の下で学び、同じく花の世界に入っていったお弟子も存在しないわけだから、先生の影響力は計り知れない。
先生がお元気でいらっしゃることは、私たち弟子の精神的支柱である。些細なことでも分からないところがあった場合でも、気軽に伺えるこの環境がどれだけ贅沢なことか。これは私自身がお弟子を持つ身になって痛切に感じるところだ。
お祝いの結びに、こんなことを付け加えた。
兄弟子、姉弟子、また後輩の皆さんは、どなたも先生にご心配をかける方はいらっしゃいません。
先生も「あなたが次から次へと心配かけるから、私もおちおち安心できない」と仰っておられたように、ただ唯一、私だけが悩みのタネであることは、よく分かっております。
でも、もしこのストレスが、先生の長生きの秘訣になっているのなら、私はこの先もずっと先生に心配をかけ続ける、ロクでもない弟子でいようと思います。
ですので先生、どうかいつまでもお元気で、ご指導いただきますように。
なにが「ですので」なのか、言ってる自分でもよく分からない。そもそもおめでたいこの席で、「ロクでもない弟子でいる」宣言なんて、それでいいのか。
先生からのお言葉で「四十、五十は鼻たれ小僧、六十、七十花なら蕾、やっと咲いたが八十で、九十でお迎えが来たら100まで待てと追い返せ」は渋沢栄一の言。先生は鼻たれ小僧を「おてんば娘」と言い換えて引用された。
「百まで待てと追い返したけれど、もうね、ここまで来たら、百二十まで待ってもらうからね、皆さんもそのおつもりでっ!」
いやこれ、本当になりそうなのだ…。すげーな。